2014年10月12日日曜日
沖縄でたびたび浮上する「独立」論 背景と歴史は /早稲田塾講師 坂東太郎のよくわかる時事用語
沖縄でたびたび浮上する「独立」論 背景と歴史は /早稲田塾講師 坂東太郎のよくわかる時事用語
2014年秋にも予定されている沖縄県知事選挙に「沖縄は琉球として日本から独立すべき」と主張する男性(48)が無所属で立候補する意向を表明しました。選挙は仲井真弘多現知事が出馬するかどうかハッキリせず、他に県内の市長の名が取り沙汰されており「独立」を訴える男性が当選するかどうかは分かりませんが、「独立」という言葉にギョッとした方もいるでしょう。実は沖縄(琉球)独立論は「本土」との摩擦があるごとにわいては消える一種の「ロマン」。ただ今の状況は男性の当落に関係なく違った側面を見せているとの声もあります。沖縄独立
最初に断っておくと「独立」を訴える声は現在の沖縄でもわずか。琉球新報が2011年に行った「日本における沖縄の立場をどうすべきか」という調査で「独立」は4.7%に過ぎず、「日本の一地域(県)のまま」が61.8%と圧倒的多数。「国内の特別区(自治州)など」は15.3%です。以下に述べるロマンや「本土」にわかってもらえない差別感を持つタイミングで「独立」論がちらほら出てくる傾向があります。
ロマン派が抱く「琉球王朝」の時代
そもそも今の沖縄県一帯は独立国だった過去があります。1429年に尚巴志(しょう・はし)が琉球を統一し「琉球王国」が建国されました。こしょうなどの南海産物を筑前(福岡県)博多や薩摩(鹿児島県)坊津へ送る中継貿易で栄えましたが、ポルトガル船の直接進出で利益を奪われ、1609年に薩摩の島津家久が国王の尚寧を捕らえて属国化した後も形式上は独立を維持します。
明治に入って1872年に王国は日本の「琉球藩」とされ国王は「藩王」となった後、79年には藩も廃して沖縄県を設置し、正式に日本の一部となりました(琉球処分)。この時はかなりの人が「独立」維持を訴えました。「ロマン派」は過去の歴史を懐かしんで「もう一度独立してみたい」と考えます。よくいわれる「居酒屋独立論」です。
戦前から講和条約までの扱いを憤る「戦前・戦後派」
日本の一部となっても衆議院議員選挙法の施行が遅れるなど「本土」とは違う扱いを受け、1945年には米軍と地上戦をともなう攻撃を受けて10万人以上がなくなりました。今の日本の領土で地上戦が行われたのは他に硫黄島のみ。戦後は敵であったアメリカの支配を受けるも、これは「本土」とて同じ。支配形態はいくらか異なったので日本と同じにしてほしいという声はありました。沖縄独立
衝撃的だったのは1951年のサンフランシスコ講和条約締結で「本土」が独立を回復したのに対して沖縄が引き続きアメリカの信託統治制度下に置かれると決まった時です。条約が効力を持った52年4月28日は「屈辱の日」でした。その日を2013年に「主権回復の日」と政府主催の式典が開かれた際には抗議集会も行われました。
見捨てられた以上「独立」を目指そうとの声はサ条約施行以後にあるにはあったものの大勢は1960年に結成された沖縄県祖国復帰協議会など「日本復帰」へと集約されていきます。それは72年に果たされました。
「基地」の固定化と差別感情
復帰前から沖縄の米軍基地は固定化の様相で、復帰後も状況は変わりません。「本土」から移ってきたケースもあり、よくいわれる国土の0.6%に過ぎない沖縄県に在日米軍基地の74%(面積比)が集中するという状況が続きました。復帰前の「本土」は空前の高度経済成長を遂げ、それが復帰運動を盛り上げる要因になっていましたが、復帰の翌年にその終わりを告げる第一次石油危機を迎え、沖縄は結局「果実」を得られませんでした。
基地に対するスタンスは沖縄県民でもさまざまです。全部出ていってもらいたいという全面撤退派から基地負担軽減を「本土」に迫る考え方、一定の共存はやむを得ないとする現実派などです。
基地の是非とは別に1960年締結の日米地位協定の改定を要望する声も多くあります。駐留する米兵などにアメリカの法律を適用したり、公務中に罪に問われたら米軍に優先的な裁判権があるなど米兵などを保護し、言い換えると県民の権利を侵害していると訴えます。こうした願いを少しでもかなえてくれると復帰時に期待した人はなかなか進展しない現状に落胆し、一部が「独立」論者へと転換しました。
1995年の女児暴行事件と普天間移設問題
1995年の女子小学生暴行事件は米兵によって起こされ、この時ばかりは穏健な県民まで激怒しました。アメリカもさすがに見過ごせず、市街地にあって危険な基地の象徴的存在である海兵隊普天間飛行場を全面返還すると、翌年、日米間で合意しました。ただし代わりの飛行場を県内に用意するのを条件とし、1999年に名護市辺野古を移設先とする閣議決定をしました。沖縄独立
また地位協定そのものは変わらないものの凶悪事件は起訴(裁判にかける)前に「好意的考慮を払う」という文言で身柄を引き渡す余地を生みました。04年からは条件付きながら全犯罪へと範囲が広げられました。不幸な事件がきっかけとはいえ少しだけ前に進んだのです。
ちょうどこの頃に高まり始めた道州制の議論と「独立」論の一部が融合するアイデアも浮上しました。先に紹介した「国内の特別区(自治州)など」が相当します。小泉純一郎政権下に出された「道州制のあり方に関する答申」は「区域例」を3つ示し、その1つの「13道州」だと沖縄が単独の道州となっています。
「鳩山発言」以後
こうした動きを一挙に覆し「期待」から「落胆」へと突き落としたのが09年8月の総選挙で野党・民主党の鳩山由紀夫代表が約束した移設先が「最低でも県外」発言でした。この選挙で民主党は政権を握り、鳩山代表が首相になっただけに県民は期待しました。ところが約9か月後「腹案がある」などと言いながら結局元の辺野古案(県内)でアメリカと合意するに至り県民は政権への不信感を強めます。
この時期に台頭した若手の「独立」論は従来より過激で、もう本土には期待できないというあきらめと怒り、「基地なき島」へのあこがれに加えて琉球民族自決論などが合流しているもようです。「独立」論には、それを純粋に求めている少数を除いて「ここまで言わないとわかってもらえない」という悲しみの発露という面もありそうです。沖縄独立
ところで日本の一部が「独立」できるのか
冒頭に示したように沖縄「独立」は現実にはありえません。したがって以下の文章は一種の空想と思っていただければ幸いです。
国家は国土、国民、主権者が必要で、日本国憲法によると国民は10条とそれに基づく国籍法で、主権者は1条の「主権の存する日本国民」で明確。ところが国土の規定がありません。だから極端にいってしまうと仲良し向こう三軒両隣が「日本から独立する」と宣言しても法的に一発アウトはできないのです。
刑法は「国の統治機構を破壊し、又はその領土において国権を排除して権力を行使」するなどした者を内乱罪に問えるとします。ただし「暴動をした者」限定。「外国と通謀して日本国に対し武力を行使させた者」も外患誘致罪に問えます。これも「武力を行使」が要件。つまり平和的に独立を宣言し、納得した「国民」にあたる人々が暴力や武力を用いず主権者を定めたら刑法では裁けません。
沖縄に関しては鈴木宗男衆議院議員の質問趣意書に対する菅直人内閣の答弁書(2010年6月18日)に「遅くとも明治初期の琉球藩の設置及びこれに続く沖縄県の設置の時には日本国の一部であったことは確かであると考えている」とあります。確かに現在はそうでも今後はわかりません。しかし、現実にはどの単位(都道府県でも市町村でも仲良し)でも独立は不可能でしょう。まず独立の是非を問う主体がわかりません。知事や市長あるいは地方議会議員は日本国憲法下の定めで選ばれているから。
国際承認も欠かせません。最もスムーズなのは日本の国家権力(三権)から「独立を問う住民投票をしていい。過半数(あるいは3分の2などケースバイケース)が承認したら認める」とのお墨付きを得る方法でしょう。でも絶対に無理。沖縄に限っては独立宣言してもアメリカと日本の少なくとも片方が承認しなければ、日米完全保障条約に基づく在日米軍基地設置なので出ていくアテもありません。通貨の問題もあります。むろん国防も。日本とケンカ別れの独立では円は使えず、自前の軍隊を用意しないと外国と対抗できません。
日本の承認がなくても諸外国がこぞって独立に賛成すれば成功するかもしれませんが、多くは国内に分離独立運動を抱えており、よほどの大義がないと二の足を踏むはずです。沖縄独立
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