2014年10月14日火曜日
秋山幸二 メジャーリーガーも絶賛した万能選手
秋山幸二 メジャーリーガーも絶賛した万能選手
イチロー、松井秀喜、福留孝介、西岡剛――。今でこそ日本人野手のメジャー挑戦は当たり前の時代だが、それがまだ非現実であった80年代に「メジャーに一番近い男」と呼ばれていた選手がいた。抜群の身体能力に恵まれ、走・攻・守の三拍子を高次元で備えていた現ソフトバンクホークス監督の秋山幸二である。一方で、ドラフト外入団や絶頂期でのコンバート、万年Bクラス球団への移籍など、波乱万丈とも言える野球人生も、この男の特徴であった。 秋山幸二
決してエリートではなかった
2010年9月26日、ソフトバンクホークスがリーグ優勝を達成し、秋山は仙台の夜に舞った。王貞治前監督の下で指揮官としてのノウハウを学び、監督就任1年目の09年から、いきなり交流戦制覇を達成するなどリーグ3位とまずまずの成績を残した。そして2年目となった昨季は、「SBM48」と呼ばれた盤石な救援投手陣を擁し悲願のリーグ優勝を達成。監督業わずか2年ながら、早くもその手腕を証明してみせた。
現役時代に目を移しても、西武ライオンズでは黄金期の中心選手として数々の個人タイトルを獲得し、キャリア晩年での移籍となったホークスでは、豊富な経験をチームに還元することで「勝てる集団」への変貌に大きく貢献した。現役引退後は監督就任への礎を作るべく評論家やコーチ業、さらには2軍監督も経験した。これらの球歴をさかのぼると、一見「エリート」に見える秋山の野球人生だが、そのスタートは上記のキャリアとは程遠いものだから、この男の野球人生は面白い。
秋山は熊本県八代郡の出身。両親が互いに陸上選手だったこともあり、自身も優れた運動神経に恵まれた。野球は小学3年生から始めるが、本人曰く「あまり得意ではなかった」らしく、実際に進学した八代高校は県内でも有数の進学校であり、このころの夢は「体育教師になること」であった。しかも、入学当初は野球部にさえ所属していなかったが、その体格と運動神経を見込まれ程なく入部。ポジションも「背が高いから」という理由でだけで、それまでほとんど経験したことのないピッチャーを任された。
しかし、抜群の身体能力を持つ少年の素質は、投手というポジションで一気に開花した。荒削りながらも地肩の強さで球威のあるボールを投げ込むと、秋山の成長とともにチーム力も飛躍的に高まっていった。入学当時は部員も少なく試合開催さえままならない状況だったが、3年夏にチームは熊本県大会決勝に進出。後にライオンズでチームメートとなる伊東勤を擁する熊本工業高校に惜敗し甲子園出場こそ逃すものの、秋山の存在はスカウトの目に留まるところまで来ていた。
一時は大学進学を表明していたためドラフトでの指名は見送られたが、その後プロで勝負する決断を固め、81年にドラフト外という形でライオンズに入団した。ちなみに強肩と俊足を生かすため、入団後は再び投手から野手に転向。2年目となった82年から83年にかけては、球団の育成方針もありアメリカでの野球留学も経験するなど、着実に成長の跡をしるしていった。そして入団4年目となった94年に、故障の影響もあり54試合の出場ながらレギュラー定着への足がかりを作ると、翌85年には正三塁手として、40本塁打、93打点という飛躍的な成績を残した。86年も41本塁打、115打点をマークしチームのリーグ連覇に貢献。第8戦までもつれたカープとの日本シリーズでは、ホームランを放った際に「バック宙ホームイン」というド派手なパフォーマンスを披露し、一躍全国の野球ファンに認知される存在となった。秋山幸二
87年からは「よりファンを魅了する選手になってほしい」という森祇晶監督の勧めもあり、センターへ正式にコンバート。これがさらなる成長を呼び起こし、この年キャリアハイとなる43本塁打で自身初の打撃タイトルを獲得。さらに89年には打率.301、31本塁打、31盗塁でプロ野球史上5人目となる「トリプルスリー」を達成し、日本球界を代表するスタープレーヤーとしての称号を得た。
その後も90年には盗塁王とともに、プロ野球史上初の30本塁打、50盗塁以上を記録すると、ホークス移籍後も94年に、こちらもプロ野球最長記録となる11試合連続長打を放つ。そして2000年8月18日の千葉ロッテマリーンズ戦で史上28人目の2000安打を達成し、またもその名を球史に刻んだ。くしくもこの記録は自身の通算2000試合目での偉業であった。
数々の記録を打ち立て、02年限りで現役生活に別れを告げた秋山だが、80年代の全盛期を知るチームメートや球界関係者、そして日米野球で対戦したメジャーリーガーなどからは、常々「メジャーに一番近い男」という賛辞を受けた。遠くへ飛ばせるパワー、観客を魅了する脚力、そして砲丸投げの選手だった母から受け継いだ鉄砲肩。そのすべてが、若いころから高いレベルにあったという証しでもある。
01年に、現在もメジャーリーグの第一線で活躍するイチローが日本人野手としては初めて海を渡ったが、現在のように日本人のメジャー移籍が当時から頻繁に行われていたら、間違いなく秋山がその第一人者になっていたであろう。現在は監督として新たな野球人生を邁進中だが、今度は「第2の秋山」を育成、もしくは、前例のない監督としてのメジャー挑戦の可能性も、激動の野球人生を送ってきたこの男ならあり得るかもしれない。秋山幸二
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